UPDATE:2017.1.13
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鏡の中に神様発見。
一昨日は鏡開きの日でしたね。我が家でも、年末にスーパーで買った小さなパック詰めの鏡餅をお供えしていました。
いざ1/11の鏡開き本番を迎え、どうやって食べようか調べていたところ
「鏡開きのお餅を包丁などの刃物を使って切り分けることは
神様に失礼に当たったり、切腹を連想させるのでNG」とのこと。
木槌もないし、叩き割れるほど乾燥させてもいないし…
…神様にごめんなさい。
無事美味しいおしるこに調理していただきました。
さて、同じ「鏡開き」という言葉、結婚式でも聞いたことはありませんか?
そうです、日本酒の樽を新郎新婦様が木槌で開くアレです。
でも、餅もお酒も“鏡”ではないのに何故「鏡開き」と言うのでしょうか。
『鏡』は古来から宝物の象徴として用いられていたそうで、
鏡餅や酒樽はその丸い形や映り込む様子などから鏡に例えらたという説があります。
家にある鏡は全部長方形ですけど?
ここで言う鏡とは神棚や、神社の祭壇にある丸い鏡のことです。
私は、この鏡の奥深さを知ってから、お参りする際には必ず鏡を見ることにしています。
鏡を覗き込むと映るのは他の誰でもなく『自分自身』=『自分自神』です。
神様にお願い事をしていると思っていましたがその神様とは自分自身のこと。
自分の努力なしで突拍子もないお願い事をしても叶わないのです。
どうりで痩せないわけだ…。
今まで無事に過ごせたことに感謝し、これから自分が頑張って叶えることを宣言し
神様に見守って貰う。
自分自神に向かっての決意表明です。
鏡開きは無病息災を願って行われる行事ですが、
それも自分の努力あってこそ。
結婚式で誓う永遠の愛も、
二人の努力あってこそ。
何事も神頼みだけではダメなのですね。